食辛房を立ち上げてもう十年になろうとしていますが、思えば色んな出来事がありました。この十年間は多くのお客様に食事をして頂き、喜ばれまた、お叱りも受けました。そして多くの仲間との出逢いや別れがありその上で大きく変化してきたと思います。
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■ 食辛房創業の想い |
私が食辛房を始めるようになったのは平成9年6月のことです。当時の私はある会社に勤めていましたが急遽会社が解散することになり無職の状態でした。また、数年前に買った中古の家のローンが千五百万円、その上よく判らない株に手を出し千五百万円の借金(ココだけの話:この借金は奥さんに内緒やったんやけど利息も払えず銀行が奥さんに請求したことでバレてしまい大怒られして大変、今も頭が上がらない状態ですわ…笑)を抱え内心自殺まで考える状態でした。 しかし私を奮起させてくれたのは子供達と家族の存在でした。自分がどんな事をしてでも家族を守ると言う気持が新たな人生の始まりでした。私はそこで「キムチハウス」と言うキムチ製造販売のお店を生まれて初めて経営することにしました。 キムチに関しては食べる事はしても漬ける事は全くの素人でしたが人間って不思議なものでその気になれば真剣に学び自分でも思いがけない程の美味しいキムチを漬ける事ができました。……この話しだけでも長くなりそうなので何かの機会にしたいと思います。
そんなこんなで食べて行くことは出来ましたが子供が中学、高校に進学するに連れて家計は少しずつ赤字が出るようになり、そこで韓国家庭料理と焼肉の店、食辛房を創業することになりました。
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■ 創業から現在まで |
食辛房創業は自分自身を大きく変える出来事だったと思います。 「キムチハウス」の立ち上げ同様、肉に関しては勿論、調理技術もない私が三千万円の借金を抱えながら二千五百万円もの借金を新たにして出店した食辛房だけに必死で働きました。借金の保証人になって貰うためにあっちこっちに頭を下げ、時には涙を流しながらお願いして立ち上げた店だけに当然のことと思います。当初82キロだった私の体重が一ヶ月余りで10キロも痩せる程、朝早くから深夜遅くまで働き詰になっていました。その甲斐あってお客様も増え店舗も順調に増やすことが出来ました。…しかし、現在に至るまでの経営は決して順風満帆とは言えませんでした。 平成13年国内でのBSE(狂牛病)問題から端を発し平成14年道路交通法一部改正での飲酒運転罰則強化による大幅な売上ダウン、平成16年のアメリカでのBSE問題は牛肉原価の高騰を招き現在においても経営を圧迫する状況です。また、創業から現在に至るまで多くの社員や共に苦労した仲間との別れは胸が痛む思いでした。(本音の話:今まで一緒に働いた社員や仲間が離れて行くのは本当に辛いものですわ。自分の力不足や会社の魅力なさを痛感します。しかし、そんな時こそ今一緒に頑張ってくれる社員や仲間が、この会社に残っていて良かったと思える魅力ある会社、経営者になろうと決意を新たにしたもんです……)
しかし、この十年間、食辛房は確実に成長し更なる発展の礎を築くことでき夢の実現に一歩一歩進んでいます。これは決して私一人の力ではありません。私を信じて一生懸命働いてくれる社員とパートナーのみなさんのお陰だと心から深く感謝しています。
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■ これからの我が想い |
今、自分を振り返って見ると、どんなに苦しく大変な時でも自分の夢を諦めることなく追い求めて来たからこそ今があると思います。また、一番大切なことは、多くの人の協力と犠牲、即ち色んな人の色んな恩を受けることで今の会社を築くことが出来たと言うことです。これからは私が多くの人に色んな形で恩返しをしたいと考えています。特にこれからの若い人達の夢の実現に手助けできたら良いなと考えています。 今、私の夢は10社の会社を創り10人の社長を育てることです。そして、その10社が各社年商十億円の売上を上げ、グループ全体の売上を百億円、経常利益5パーセントを確保し店頭公開する事が大きな夢の一つです。(本音の話:本当に実現するか不安は一杯ですね。奥さんからは「自分の実力をよく知って事業を広げたら…」と何時もガツンと言われてシュンとなったりするけど、やっぱり男はロマンを求めて働かなくっちゃ!…エヘン) 何時になるか分かりませんが私が引退した後、10社の社長とお酒でも交わしながら、あの時はどうだったとか、誰々さんにこんな事があったとか話しをしながら話しに花を咲かせるのがもう一つの夢です。これからも“年中夢求”で人生を楽しくエンジョイしたいと考えています。
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